なぜ、数学を勉強するの?
  いや、数学とどうつき合えばいいの?
  いや、ただのボヤキかも? (2000.6)

  先日、数学の授業中、ある私立中の女の子が、「先生、因数分解ってなんで必要なの?」って尋ねてきました。この手の質問には、まあ幾度となく出会っているのですが、いつも、そんなにうまく説明できずに(心に響かずに)なんとなく終わるのが常です。数学教師として、短い一言で、疑問を持っているみんなが、「あ、そうか。」と納得できるような答えを披露できればいいなといつも思うのです。(まだまだ修行が足りない私です)でも「英語はなんで必要なの?」という疑問は聞いたことがありません。それは、英語を話せたり、読めたり、書けたりできれば、この国際化の時代、たとえ将来どんな仕事に就こうと、すごく便利そうだし、自分の行動の幅も広がるような確信があるからでしょう。一方、数学といえば、中学から算数が数学になって、数字が文字(x、y、a、b・・・)になってから、なんでこんなこと勉強するのと思うむきは確かに多いものです。さて、なんで数学を勉強するのでしょうか?

 まず最初に言っておかなければならないのは、今習っていることのすべてが、必ずしも将来の生活に直接役立つとは限らないということです。勉強には直接役に立つ応用系の勉強以外に、もっとベーシックな理論や考え方の勉強もあるのです。例えば、医者にも直接患者と接して病気やけがを治すための勉強もあれば、顕微鏡を覗いたり文献を調べたりする、表にはない地道な勉強もあります。数学も同じで、科学技術にすぐ応用できる理論をつくる数学もあれば、伝統的な純粋数学もあるのです。この後者を中学や高校で勉強しているわけです。それでは、応用の方が役立つので?そうかも知れませんが、ある程度基礎をマスターしてからでないと応用の方を勉強するのは不可能なのです。実業高校とか専門学校では、将来の仕事に直接役に立つ(実利的な)勉強(トレーニング)を積むものですが、義務教育や多くの普通学校では、これから上級学校に進み、それぞれの専門知識が吸収できる下地をつくっているのです。そして勉強していく中で、確かに将来数学をもっと専門的に勉強しようとか、数学の楽しさに惹かれていく人がいるわけです。もちろん、数学が嫌いなまま中学、高校を終える人は本当にたくさんいますよね。これは、やはり学校や先生の対応のまずさも一つの要因でしょう。

 では、この数学の楽しさってなんでしょうか?それは、ほんの少しの定義(約束ごと、一種のゲームのルール)があるだけで、その枠組みの中で、自由に遊べるということ、そして遊んでいる中で、結果的に物事を合理的に考えるということや、筋道を立てて考えるということを会得できることだと思います。でもこれは、肉が好きな人が肉はおいしいよと言っているに過ぎないわけで、嫌いなものは嫌いだという人にとっては説得力はないかも知れません。

 例えば、2乗(同じ数を2回かけること)して9になる数は、3と-3ですね。確かに3×3=9、-3×-3=9ですよね。では、2乗して5になる数は? こんな数はないというでしょう。でも数直線上に目盛りはとれます。(*)ということは、こういう数があるってことだから、表そうとしますね。そこで、2乗して5になる数を、ルート5、マイナスルート5と約束します。これが平方根のお約束です。では、5の2乗のルートは?悩まないで。2乗して5の2乗(25)になる数なのだから5ですよね。こういう風に決め事(定義)は、ほんの少しで、そこから、様々な計算が展開できるわけです。

(a+b)²=a²+2ab+b²

(a+b)(a-b)=a²-b²

上の2つの公式があります。これは中3の乗法(かけ算)公式といわれるものです。これはぱっと天から舞い降りた公式(暗記すべきもの)ではなくて、かけ算をしていけばすぐに明らかだとわかります。じゃあ、なぜ公式、公式と言って覚えさせられるのかというと、たいしたことがないものに労力をつぎ込むのは面倒なので、このくらいのことは覚えちまおうということです。かけ算九九と同じですよ。6×5=30って、6+6+6+6+6と計算してもいいじゃないか。でもいちいち足し算を計算するのは面倒ですよね、そこで九九を知っていれば格段に便利で速くなるというわけです。上の式の逆を考えてみましょう。(下)

a²+2ab+b²=(a+b)²

a²-b²=(a+b)(a-b)

これを因数分解の公式といいます。(因数分解って、何かと何かのかけ算の形に式の形を変えることです。)

この2つのことだけを使って、下の問の式を因数分解してみて下さい。

 a⁴+a²+1 を因数分解しなさい。

 高校に入ると、三角関数(sin,cos,tan)やら対数(log)も登場します。だんだんゲームの約束が高級になってくるのです。でも、もともと三角関数は測量から、logはとてつもなく大きな桁の数を扱う天文学の要請で登場したものです。例えばlog10000000=7(すなわち1のあとに0が何個くっついているか)と約束するのです。このことにより、今まで100000とノートに書かなければいけなかったのに、このlogのおかげで普通っぽい計算にアレンジできるようになり、計算のスピードが格段に速くなるわけです。「いや、余計分かりづらい」って? それはそうですよ。まだゲームのルールをマスターしていないのですから。逆に最初のlogの計算ばかりを習っていたら、今までの普通の計算がやりにくくなっていることでしょう。

 以上のように、数学はある最小限のルール(枠組み)を決めて、そのルールの中で自由におやりなさいという教科です。そしてまた、この枠組み同士が相互乗り入れ可能であるということも数学の魅力の1つなのです。

2x+y=5      2x+y=5…① 4x-3y=5…②

4x-3y=5     ①×2-②をして

           4x+2y=10

                                    4x-3y=5

                                    5y=5    y=1

                                    ①より  x=2

                                    答え x=2   y=1

 左上の式は中学2年でやる連立方程式で、右上のように解いて、この2つの式の両方を同時に成り立たせるx、y(これを解といいます)を求めます。これは、方程式という枠組みの中で考えているものです。これを全く別の枠組みで考えてみます。

2x+y=5を成り立たせるx、yをまとめて(x,y)として、これを座標の世界で一つの点として、例えば(5,-5)、(1,3)、(2.5, 0)・・・と印をつけていくと(プロットといいます)、点がつながって1本の直線が出現します。(左)同じように4x-3y=5という式を成り立たせる(x,y)をプロットしていくと、やはり別の直線が現れます。

 この2つの直線がぶつかったところ(交点)の横と縦の目盛りを読むと(2,1)となって、これは先ほどの方程式のルールで考えた答えと同じになるわけです。方程式から座標の枠組みへ切り替えスイッチを押したといったところでしょう。言ってみれば同じゲームの趣が違う二種類のゲームソフトで遊んだ事になるわけです。

 

 もう一つ、数字が厳密でなければいけないということが、ゲームの楽しさを保障してくれる要素にもなるのです。例えば、答えが100のところを1000と書いてしまった。ああ、惜しかったなと言うかも知れません。しかし、例えば医療の世界でちょっと0を一つ間違えて100mgのお薬を、1000mg処方されたらと考えると、きっとゾ~! となるはずです。数学も同じで、正しい答えは必ず一つ、それ以外はたとえ0.00001違っていても×(バツ)、すなわちゲームに失敗したことになるのです。先ほどの平方根の話を少し続けましょう。中学校ルールでは、aの2乗ルート=aです。でも高校以上の一般ルールでは、aの2乗ルート=a ではありません。だんだんゲームのルールも厳密になるのです。実は中学校から高校になると、この種の厳密さ(ルール改正?)になじめずに数学がわけわからなくなって泥沼に入っていく場合も少なくありません。なぜ一般ルールでは、aの2乗ルート=aでないかと言いますと、例えば=-2のときを考えると、(-2)の2乗のルート=ルート4=2のはずなのに、aの2乗のルート=aであるとすると、(-2)の2乗のルートになって結果が合いません。中学ルールはがプラスのときだけを考えていたのですが、一般ルールではそれこそ一般の場合もすべて適用できるようなルールにしています。だから一般ルールでは、下のようになるのです。だから数学って嫌いなんだよ。と言わないで下さい。このルールの厳密さが数学の魅力ともなるのですよ。

 

 「この世の中には2つの言語があり、その2つを習得すれば手に入れられない重要な情報はない。その2つは日本語と数学である」という意見があります。(加藤周一『再び英語教育について』朝日新聞)あいまいだからこそ成立できる国語と厳密だからこそ世界共通の普遍性を持つ数学と言う言語、その2つを習得することが必要だと端的に言っているのです。

     * * * * * *

 しかし、現在の理数系離れや学力の低下に伴って、従来の知育主義の数学教育から、「目で見たり、触ったりと、実感覚として数学を楽しもう、そして本当に数学を勉強したいかそうでないかを峻別した後で、今の形で数学を勉強させるという方がいいのではないか」という考え方や活動も現れてきています。でも、もうしばらくの間、多くの人は、中学から高校2年まで数学とつき合わなければなりません。「英語」は中学から高校まで同じ「英語」ですが、数学は50種類くらいの違ったゲームソフトが約2カ月ごとに登場するといった感じです。そして、その都度ゲームのルールをしっかり理解しなければ、だんだんルールもなじみにくくなるばかりです。でも、ちゃんとルールを分かっていけば、もしかしてゲームがすこしづつ楽しく思え、それを貫く数学のスピリットを感じ、数学そのものが好きになるかも知れませんよ。長々と書いてきましたが、書けば書くほど、説得力がなくなってくるのに気づきます。理数科教師のボヤキになってしまいましたね。

(MJ通信  雑感  2000.6)

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