[雑感]の記事一覧
今年はどの鉢の花も花つきがよかった。ここ数年、園芸店の方や植木屋さんから草木の生育が活発と聞くことが多い。よく伸びるということだ。温暖化のせいであろうか。そんなことを床屋さんで話していたら、そういえば髪もよく伸びると店[...] 続きを読む
今年はどの鉢の花も花つきがよかった。ここ数年、園芸店の方や植木屋さんから草木の生育が活発と聞くことが多い。よく伸びるということだ。温暖化のせいであろうか。そんなことを床屋さんで話していたら、そういえば髪もよく伸びると店[...]
昨年の3月、世界的な音楽家の坂本龍一さんが大腸癌で亡くなった。その間際に、この再開発の見直しを求める手紙を東京都の小池百合子知事らに送っている。都知事はやんわり筋違いとばかりやり過ごす。その後、坂本氏の遺志を継いで様々[...] 続きを読む
昨年の3月、世界的な音楽家の坂本龍一さんが大腸癌で亡くなった。その間際に、この再開発の見直しを求める手紙を東京都の小池百合子知事らに送っている。都知事はやんわり筋違いとばかりやり過ごす。その後、坂本氏の遺志を継いで様々[...]
ジングウガイエンといえば神宮球場 学生席で初めて早慶戦の応援、エール交換の時に、サングラスをとるように応援団長に指をさされたのを思い出す。でも度付きのグラサンを取ると何も見えんの。その後はヤクルトファンだから子どもを連[...] 続きを読む
ジングウガイエンといえば神宮球場 学生席で初めて早慶戦の応援、エール交換の時に、サングラスをとるように応援団長に指をさされたのを思い出す。でも度付きのグラサンを取ると何も見えんの。その後はヤクルトファンだから子どもを連[...]
住職の寺は真言宗智山派、私の家も同じ真言宗だからお経は聞き慣れた文言が多かった。隣に住んでいて幼い頃から慣れ親しんでいた私の爺様やおばあちゃんが亡くなったのは私が小学生から中学生の頃だった。昔のことだから繰り上げ初七日[...] 続きを読む
住職の寺は真言宗智山派、私の家も同じ真言宗だからお経は聞き慣れた文言が多かった。隣に住んでいて幼い頃から慣れ親しんでいた私の爺様やおばあちゃんが亡くなったのは私が小学生から中学生の頃だった。昔のことだから繰り上げ初七日[...]
おっちゃんとはもう十年以上になろうか クリスマスを過ぎる年の瀬、毎年一回だけおっちゃんのところに竹を買いに行く。 昔は街でよく目にした材木屋とか銘木屋はだいぶ少なくなった。まして竹屋などは都内ではだいぶ珍しい。その竹[...] 続きを読む
おっちゃんとはもう十年以上になろうか クリスマスを過ぎる年の瀬、毎年一回だけおっちゃんのところに竹を買いに行く。 昔は街でよく目にした材木屋とか銘木屋はだいぶ少なくなった。まして竹屋などは都内ではだいぶ珍しい。その竹[...]
「アンネの日記」を遺してわずか15年で人生を終えたアンネ・フランク、彼女の友だちだったイスラエル在住のハンネリ・ホースラルさんが今年10月末に93歳で亡くなった。二人はともにユダヤ系ドイツ人で、ナチス政権によってユダヤ[...] 続きを読む
「アンネの日記」を遺してわずか15年で人生を終えたアンネ・フランク、彼女の友だちだったイスラエル在住のハンネリ・ホースラルさんが今年10月末に93歳で亡くなった。二人はともにユダヤ系ドイツ人で、ナチス政権によってユダヤ[...]
《倍賞千恵子》演じるミチの深い皺の陰影、老いたナイーブな表情が際立つ。まさに名優の演技である。あの生真面目な寅ニ郎の妹さくらが時折見せる困惑した表情と同じだ。 ミチは職を失い、そして住んでいる団地が取り壊されることを[...] 続きを読む
《倍賞千恵子》演じるミチの深い皺の陰影、老いたナイーブな表情が際立つ。まさに名優の演技である。あの生真面目な寅ニ郎の妹さくらが時折見せる困惑した表情と同じだ。 ミチは職を失い、そして住んでいる団地が取り壊されることを[...]
どうやら僕は石が好きなようだ 妙に石に惹かれてしまう時がある(笑) 十年ほど前になる。とても安いお代で貸して頂いていた駐車場の持ち主の叔母様が、そこの自宅と土地を売って、やや離れたところの新築マンションに引っ越すこ[...] 続きを読む
どうやら僕は石が好きなようだ 妙に石に惹かれてしまう時がある(笑) 十年ほど前になる。とても安いお代で貸して頂いていた駐車場の持ち主の叔母様が、そこの自宅と土地を売って、やや離れたところの新築マンションに引っ越すこ[...]
「ママぁー、お花だよー」 と、子どもが小走りに近寄って、地面にしゃがみこむ。 ママの顔をみる 「〇〇ちゃーん それ雑草でしょ バッチいよ ほら こっち来なさい」 ‥‥‥よくある光景だ。 《雑草》=取るに足らない=しかもバ[...] 続きを読む
「ママぁー、お花だよー」 と、子どもが小走りに近寄って、地面にしゃがみこむ。 ママの顔をみる 「〇〇ちゃーん それ雑草でしょ バッチいよ ほら こっち来なさい」 ‥‥‥よくある光景だ。 《雑草》=取るに足らない=しかもバ[...]
スティックがガリガリに細く削れて、ささくれだっている。いつ折れて先っぽが飛んで行くのかと不安になるくらい。もう替えるべきタイミングだと思いながらも、あいかわらず今日も使っている。 〇〇の手習いよりは少しばかり前だが、[...] 続きを読む
スティックがガリガリに細く削れて、ささくれだっている。いつ折れて先っぽが飛んで行くのかと不安になるくらい。もう替えるべきタイミングだと思いながらも、あいかわらず今日も使っている。 〇〇の手習いよりは少しばかり前だが、[...]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]