[雑感]の記事一覧
おっちゃんとはもう十年以上になろうか クリスマスを過ぎる年の瀬、毎年一回だけおっちゃんのところに竹を買いに行く。 昔は街でよく目にした材木屋とか銘木屋はだいぶ少なくなった。まして竹屋などは都内ではだいぶ珍しい。その竹[...] 続きを読む
おっちゃんとはもう十年以上になろうか クリスマスを過ぎる年の瀬、毎年一回だけおっちゃんのところに竹を買いに行く。 昔は街でよく目にした材木屋とか銘木屋はだいぶ少なくなった。まして竹屋などは都内ではだいぶ珍しい。その竹[...]
「アンネの日記」を遺してわずか15年で人生を終えたアンネ・フランク、彼女の友だちだったイスラエル在住のハンネリ・ホースラルさんが今年10月末に93歳で亡くなった。二人はともにユダヤ系ドイツ人で、ナチス政権によってユダヤ[...] 続きを読む
「アンネの日記」を遺してわずか15年で人生を終えたアンネ・フランク、彼女の友だちだったイスラエル在住のハンネリ・ホースラルさんが今年10月末に93歳で亡くなった。二人はともにユダヤ系ドイツ人で、ナチス政権によってユダヤ[...]
《倍賞千恵子》演じるミチの深い皺の陰影、老いたナイーブな表情が際立つ。まさに名優の演技である。あの生真面目な寅ニ郎の妹さくらが時折見せる困惑した表情と同じだ。 ミチは職を失い、そして住んでいる団地が取り壊されることを[...] 続きを読む
《倍賞千恵子》演じるミチの深い皺の陰影、老いたナイーブな表情が際立つ。まさに名優の演技である。あの生真面目な寅ニ郎の妹さくらが時折見せる困惑した表情と同じだ。 ミチは職を失い、そして住んでいる団地が取り壊されることを[...]
どうやら僕は石が好きなようだ 妙に石に惹かれてしまう時がある(笑) 十年ほど前になる。とても安いお代で貸して頂いていた駐車場の持ち主の叔母様が、そこの自宅と土地を売って、やや離れたところの新築マンションに引っ越すこ[...] 続きを読む
どうやら僕は石が好きなようだ 妙に石に惹かれてしまう時がある(笑) 十年ほど前になる。とても安いお代で貸して頂いていた駐車場の持ち主の叔母様が、そこの自宅と土地を売って、やや離れたところの新築マンションに引っ越すこ[...]
「ママぁー、お花だよー」 と、子どもが小走りに近寄って、地面にしゃがみこむ。 ママの顔をみる 「〇〇ちゃーん それ雑草でしょ バッチいよ ほら こっち来なさい」 ‥‥‥よくある光景だ。 《雑草》=取るに足らない=しかもバ[...] 続きを読む
「ママぁー、お花だよー」 と、子どもが小走りに近寄って、地面にしゃがみこむ。 ママの顔をみる 「〇〇ちゃーん それ雑草でしょ バッチいよ ほら こっち来なさい」 ‥‥‥よくある光景だ。 《雑草》=取るに足らない=しかもバ[...]
スティックがガリガリに細く削れて、ささくれだっている。いつ折れて先っぽが飛んで行くのかと不安になるくらい。もう替えるべきタイミングだと思いながらも、あいかわらず今日も使っている。 〇〇の手習いよりは少しばかり前だが、[...] 続きを読む
スティックがガリガリに細く削れて、ささくれだっている。いつ折れて先っぽが飛んで行くのかと不安になるくらい。もう替えるべきタイミングだと思いながらも、あいかわらず今日も使っている。 〇〇の手習いよりは少しばかり前だが、[...]
「‥‥‥つよくて やさしい くまでした。 おおかみは、はしのうえで ぼんやり たって いました。 いつまでも、 くまの うしろすがたを みおくって いました。」 〈はしのうえのおおかみ〉(奈街三郎 作 花之内雅吉 [...] 続きを読む
「‥‥‥つよくて やさしい くまでした。 おおかみは、はしのうえで ぼんやり たって いました。 いつまでも、 くまの うしろすがたを みおくって いました。」 〈はしのうえのおおかみ〉(奈街三郎 作 花之内雅吉 [...]
ウチの自転車の修理は、いつの頃からか、家から少し離れた店でお世話になるようになった。もっと近くにも2、3軒〇〇輪業や△△サイクルはあるが、その店に落ち着いている。 昭和の時代によく見る風景の、町の自転車屋さんといった[...] 続きを読む
ウチの自転車の修理は、いつの頃からか、家から少し離れた店でお世話になるようになった。もっと近くにも2、3軒〇〇輪業や△△サイクルはあるが、その店に落ち着いている。 昭和の時代によく見る風景の、町の自転車屋さんといった[...]
1年前に園芸店のセールで買った鉢のギンバイカ(銀梅花)がどんどん葉を落として元気がなくなっていった。今年の春、根のようすを見ようと土を取り出すと、中に3、4センチの幼虫が10匹くらい、居心地よさそうに不法占拠していたで[...] 続きを読む
1年前に園芸店のセールで買った鉢のギンバイカ(銀梅花)がどんどん葉を落として元気がなくなっていった。今年の春、根のようすを見ようと土を取り出すと、中に3、4センチの幼虫が10匹くらい、居心地よさそうに不法占拠していたで[...]
「僕らの人生が三文小説だとしても 投げ売る気は無いね 何度でも書き直すよ」 「あゝ 駄文ばかりの脚本と三文芝居に いつ迄も付き合っていたいのさ」 King Gnuの「三文小説」が奏でる詩である。 二束三文、三文[...] 続きを読む
「僕らの人生が三文小説だとしても 投げ売る気は無いね 何度でも書き直すよ」 「あゝ 駄文ばかりの脚本と三文芝居に いつ迄も付き合っていたいのさ」 King Gnuの「三文小説」が奏でる詩である。 二束三文、三文[...]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]