「一生勉強 一生青春」
ーあいだみつおの言葉 (2000.10)

 塾の二階には、相田みつおさんの「一生勉強 一生青春」という額があります。これを掛けてもう十年くらい経つでしょうか。最初は、頂き物のお饅頭の箱に貼ってあったか、入っていたもので、「いい言葉だなぁ」と感じて、額に入れておいたのです。

 「塾=進学塾=受験勉強」と一元的な価値観で受け止められている風潮の中で、「勉強」に対して広がりがあることばだと思いました。その後、とある小さな美術商にその同じ言葉が、みつおさんの立派な色紙として置いてあったので、今はそれを掛けてあります。たまに、子供たちの誰かが、「えっ、一生勉強だって、そんなのイヤなこった!」「えっ、一生青春? 先生、まさか今も青春だって思っているの?」といいます。どうやらどちらも子供にとってはピンとくるものではないようです。そうそう、以前親子で入塾の説明を聞きにいらっしゃったとき、お母さまが額を指さして、「○○ちゃん、あれをみてごらんなさい、ね、日々勉強でしょ。そうですよね、先生。」ということもありましたっけ。

 この「一生勉強」は、○○進学予備校の教室に貼ってある「日々是決戦」とは、私の中では全くニュアンスが違うのです。例えばお医者さんを例にとってお話すると、ベテランのお医者さんのもとに、今までの知識や経験に照らしても、何の病気なのか診断がつかない患者さんが訪れたとします。その患者さんを何とか救ってあげたいという気持ちがあれば、きっと、夜も寝ないで文献を調べたり、その治療方法について考えたりするでしょう。そして、その病気が何なのかわかったとしても、自分のできる限界を超えていれば、その道の専門医や医療機関を紹介するわけです。昔はあった病気が今はあまりないということもありますが、それとは逆に、時代の変化とともに昔は見当たらなかった病気や障害も多くあるので、お医者さんは、様々な患者さんを救おうとすれば、次から次へと新しい勉強をしなければならないことになるでしょう。時代はどんどん変化していきます。子供たちが将来どんな仕事に就こうとも、第一線で活躍するためには、こうして新しい知識を勉強していかなければならないでしょう。(逆にそうした結果、第一線で活躍できるのかも知れません。)ローマのヒデだって、ジャイアンツのゴジラだって、ものすごい勉強家だと思います。社会に出て生きていくようになれば、今、塾で勉強していることよりも、もっともっと難しい応用問題がたくさんあります。だからこれからもずっと勉強していくぞという覚悟をしてほしい、そして今やっている受験勉強くらい、(精一杯応援するから)鼻歌唱って(というのは言い過ぎかも知れませんが)乗り切ろうよ、ということです。

 以前、亡母の位碑をつくるために仏具屋さんに行って、戒名を紙に書いて伝えました。でも、出来上がった位碑の字が一字違っていました。出てないはずの線が突き抜けていたのです。私が連絡をすると、仏具屋は平謝りで彫り直しました。私は考えてしまいました。漢字に一番精通していていいはずの人たちが初歩的なミスをし、それが何人の手にわたっても誰もチェックできなかったということが、不思議だったのです。先日来のニュースでは、女子高校生が医療過誤で亡くなったことが取り上げられていました。字の専門家が漢字を間違え、医者が人を殺し、警察が悪事をはたらき、先生が子供を傷つける、もちろんまじめに仕事を全うしている方がたくさんいることは承知とは言え、そんなことが多く目につくのです。

 昔はどこの集団にも、口うるさく、容赦のない番頭さん(お目付役)がいて、鋭く目を光らせ、厳しく指導することによって、チェック機能が働いていたのです。しかし、みんなが「やさしい」現代では、自分で勉強して、自分で律していく必要があるでしょう。世の中が自由であれば、様々に選択をしなければなりません。自由であればこそ個々のモラルや教養が問われる時代なのです。多様な選択肢の中で、自分にとって何が必要なのかを選びとることは、画一化された時代以上に「勉強」し、正しい知識を得ることが大切な時代だと思います。この字はここを突き出さないように、そして、医者には抗ガン剤を適正に使うことを指示できるように、勉強しなければなりませんね。

(MJ通信  雑感  2000.10)

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