[食す/!?]の記事一覧
千葉県は、新しい時代の地層によって覆われている平野で、しかもマグマからできた火成岩がほとんどみられないため、変化が少なくて地層見学にはつまらないと思うかも知れないが、新生代の地層を観察するには絶好の場所なのだ。 銚子[...] 続きを読む
千葉県は、新しい時代の地層によって覆われている平野で、しかもマグマからできた火成岩がほとんどみられないため、変化が少なくて地層見学にはつまらないと思うかも知れないが、新生代の地層を観察するには絶好の場所なのだ。 銚子[...]
キンコンカンコーン 一時間目の授業 Q.方位磁針のN極がさした方が北、そんなの当たり前。では「なぜ?」 A.地球は大きな磁石で北極がS極、南極がN極になっているから ハイ よくできました(パチパチ) Q. 「なぜそうな[...] 続きを読む
キンコンカンコーン 一時間目の授業 Q.方位磁針のN極がさした方が北、そんなの当たり前。では「なぜ?」 A.地球は大きな磁石で北極がS極、南極がN極になっているから ハイ よくできました(パチパチ) Q. 「なぜそうな[...]
両国国技館から旧安田庭園に向かう道から同愛病院の方に折れたところにある〈下総屋食堂〉。かのスカイツリーは634m〈ムサシ〉のくせに、建った場所は武蔵国ではなく下総国なのだが、この〈下総屋〉は下総国に近いが武蔵国にあった[...] 続きを読む
両国国技館から旧安田庭園に向かう道から同愛病院の方に折れたところにある〈下総屋食堂〉。かのスカイツリーは634m〈ムサシ〉のくせに、建った場所は武蔵国ではなく下総国なのだが、この〈下総屋〉は下総国に近いが武蔵国にあった[...]
JR十条駅のすぐ脇の小さなビルに「カフェメソポタミア」がある。 クルドの家庭料理が食べられる珍しい食堂だ クルドといえば、2018年にノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんが記憶に新しい。彼女はイラク北部の山岳[...] 続きを読む
JR十条駅のすぐ脇の小さなビルに「カフェメソポタミア」がある。 クルドの家庭料理が食べられる珍しい食堂だ クルドといえば、2018年にノーベル平和賞を受賞したナディア・ムラドさんが記憶に新しい。彼女はイラク北部の山岳[...]
明治42年からこの場所にある老舗である。平成8年に建て替えてビルになったが、当時の黒塀の料亭の玄関を再現したので、松の床板の木目も艶も以前と同じだ。ただ框の高さは現在よりやや高かったようだ。 三島由紀夫は子供時代から[...] 続きを読む
明治42年からこの場所にある老舗である。平成8年に建て替えてビルになったが、当時の黒塀の料亭の玄関を再現したので、松の床板の木目も艶も以前と同じだ。ただ框の高さは現在よりやや高かったようだ。 三島由紀夫は子供時代から[...]
おや? わさびわさび‥と細かく彫ってある鋼鮫製のおろし金で生ワサビを擦って待つ どこか一ヶ所だけ〈わびさび〉とかになってるじゃなかろうかと勝手に思って食い入るように見るが、前の席の客の目線が気になってやめておく。この摺り[...] 続きを読む
おや? わさびわさび‥と細かく彫ってある鋼鮫製のおろし金で生ワサビを擦って待つ どこか一ヶ所だけ〈わびさび〉とかになってるじゃなかろうかと勝手に思って食い入るように見るが、前の席の客の目線が気になってやめておく。この摺り[...]
今日の昼はラーメンのルーツを食べる。 麺は、すべすべつるつるの細麺、滝のようにスーッと喉を降りていく滑らかさ。コシがあって美味しい。チャーシューはあの周りが焦げて内側が紅ををさしたように赤みをさしている。よく中国料理[...] 続きを読む
今日の昼はラーメンのルーツを食べる。 麺は、すべすべつるつるの細麺、滝のようにスーッと喉を降りていく滑らかさ。コシがあって美味しい。チャーシューはあの周りが焦げて内側が紅ををさしたように赤みをさしている。よく中国料理[...]
有楽町から新橋に続く間で、JRと首都高速が並走する場所がある。首都高の高架に沿って銀座コリドー街が続く。これは昭和31年外堀を埋め立てて造られた首都高の完成にともなってできた。日比谷OKUROJIは平行に走るJR線の高架[...] 続きを読む
有楽町から新橋に続く間で、JRと首都高速が並走する場所がある。首都高の高架に沿って銀座コリドー街が続く。これは昭和31年外堀を埋め立てて造られた首都高の完成にともなってできた。日比谷OKUROJIは平行に走るJR線の高架[...]
子供たちにとって、お菓子というのは絶対的守護神だ。 小分けした菓子の袋でも見つけようものなら、たちまち顔がほころび、 一気に空気が柔らかく変わる。お菓子は、それほどの神通力を秘めている。 その昔、砂糖で甘くした餡子にどれ[...] 続きを読む
子供たちにとって、お菓子というのは絶対的守護神だ。 小分けした菓子の袋でも見つけようものなら、たちまち顔がほころび、 一気に空気が柔らかく変わる。お菓子は、それほどの神通力を秘めている。 その昔、砂糖で甘くした餡子にどれ[...]
素敵な森の美術館。 前日の嵐が嘘のように、雲ひとつない蒼い単色の空 こんな日、テラスのランチは贅沢だ。 高級なランチを頂くという意味ではない。 澄んだ空気と寒くも暑くもない陽気、少しだけ色づいた森と山を前に、BGMは鳥の[...] 続きを読む
素敵な森の美術館。 前日の嵐が嘘のように、雲ひとつない蒼い単色の空 こんな日、テラスのランチは贅沢だ。 高級なランチを頂くという意味ではない。 澄んだ空気と寒くも暑くもない陽気、少しだけ色づいた森と山を前に、BGMは鳥の[...]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]