あれれ・の・れ の巻
卒業生がたずねてくる の巻 (2001.4)

あれれ・の・れ の巻

 日大豊山高校から日大への推薦入学をせずに、理学療法の専門学校へと進んだT君。高校時代は優秀でしたが、漫然と大学へ行くよりもと考え、一流スポーツ選手のトレーナーを夢見て、着々と自分の道を歩き始めています。プレステのおかげで、学校の日本史でも戦国時代は勉強しなくても完璧な答案が書けたという生徒です。「高校は日大の予備校みたいなところで、日大に進学しないと決めた自分は、学校の中では異端児でした。進路についても学校の先生からは『まあ勝手にやれ』くらいのもので、何のアドバイスも応援もなかったなあ。」

 また先日、ある女子校に通う高3のAさんが、入塾の相談にいらっしゃいました。「建築の方面に進みたい」とのこと。でも、学校で選択した科目は、数Cと地学。建築学科は、ふつう、数Ⅲ、数Cで理科は物理なので、私としては「なんだこりゃあ」という感じでした。というのは、「どうして学校で、担任や進路指導の先生が一人一人の進路の志向にじっくり耳を傾け、『こういう希望だったらこうした方がいいよ』といったアドバイスがされていないのか」と驚愕し、いつものことながら落胆したからです。私は彼女の希望を聞く中で、建築学部よりも住居や環境といった家政系の学部の方が向いているのではないかと思いました。そうすると、入試科目にも無理がないような受験ができます。そもそも建築には、構造と意匠(デザイン)の両面があり、どちらかというとデザイン系寄りであれば、美人も含め、必ずしも理工学部の建築学科でなくても建築の勉強はできるものです。後は、やっていく中で自分の進路も見えてきて、足りない部分があったら補えばいいと思うのです。

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 IT時代の到来。学校で全員がコンピュータの操作を習うことができます。たしかに知らないことがあったら、インターネットの検索で探せば、無尽蔵の情報をGETすることができるのです。でもちょっと待って下さい。結局そうなればなる程、必要な情報とそうでない情報を見分けること、そして正しい情報と誤った情報を区別することが最重要になるのです。たしかに、受験や進路情報は巷にあふれかえっています。でも、本当にそれを見極めて、自分で適用できる力をこそ生徒に与えて欲しいと思います。それが、学校の役割であるはずです。単に操作を習得するのであれば、コンピュータスクールにでも通った方が、ずっと効率的にちがいありません。そして教師は、その生徒の適性を見極める眼力と、世の中の様々な職業についての洞察力と知識をぜひ身につけて欲しいと思います。

 

卒業生がたずねてくる の巻

塾には、卒業生たちが頻繁にやって来てくれます。春休みは特に多く、たまたま3組の訪問がかちあった日もありました。

中央大学の理工学部を今春卒業したS君。(中3のとき、将来何になりたいのと尋ねたら「旅人かな」と答えたのが彼です。在学中に事務を手伝ってくれていました。)就職せずに、とりあえず家業を手伝い、弁理士(合格率3%ですって)の資格を取ろうと意気込んでいました。再受験をして医学部で精神医学の勉強をしようかとも言っていましたが、客観性のある仕事の方が向いているような気がして、私は弁理士賛成といっておきました。

 東海大の建築に進んだM君は、「大学は人を堕落させるところです。」と言っていました。おだやかで、怒った顔を見せたことのない彼が、そんなことを言うので、すごく成長したんだなあと思って安心して聞いていました。大学という組織の中で、やる気のない教授、横並びの生徒、様々に矛盾を感じているのでしょう。これから就職活動をする彼が、大企業に入るのにも学歴の壁はあります。そして、会社の規模が大きくなればなる程、分業化の中で一つの歯車になり、理想とのギャップを感じることもあるでしょう。でも、彼は就職活動をし、どこの会社に入ってもとにかく一級建築士の資格を取るまでは頑張ると、きっぱりと決心を語ってくれました。(私は「どの会社に入ろうと、3年間はがむしゃらに働いてみれば。それによって結果的に見えてくるものがあるかも知れない」と言いました。)

 隣にいたN君は、埼玉大学で遺伝子工学を勉強しています。将来は大学院に進学したいと思っているようですが、学問をやると、なかなか生活が大変なのを気にしていて、「生きること」と「生活をすること」の狭間で葛藤があるようでした。

 現在、塾で事務のお手伝いをしてくれている3人の女子大生たちも、塾の卒業生ですが、それぞれ体育学部、電子工学科、法学部で勉強しています。偶然、専攻が違う3人が集まったのですが、個性的な女性たちが様々な分野を選択しているという現実、女性の時代を象徴している気がします。

 このように卒業生が訪ねてきていろいろな話ができるのは、たしかに私たちにとって、この仕事をしていく上での喜びです。そして彼らが小・中・高・大・社会人と成長し、再び塾を、私たちを訪ねてくれたとき、それまでとはまた違ったコミュニケーションが生まれるものです。勉強を教え、成績を上げる塾の教師の役割と同じくらいに、その新たなコミュニケーションは彼らと私たちにとって重要だと思います。また、彼らの成長の様々な段階で、彼らの話を聞き、対話し、的確な助言をし、彼らの夢の実現を応援するためには、私たちこそが成長しなければいけません。「教師は、一生教師でなければならない。」そう私は思っています。

(MJ通信  雑感  2001.4)

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