「勉強」と「ゲーム」のカンケイ(1999.3) 

 数年前のことになりますが、小学生の受験科のクラスでのS君のこと。学芸大付属中学の過去問演習の時間。3番か4番の図形の問題(別掲)だったと思います。みんな少し悩むだろうと思っていると、S君は問題を見たとたん瞬く間に正解、これはビックリ!小学校1年生で1から100までの自然数の和をすぐに答えて(注1)天才と言われたガウスの再来か?と、どうしてそんなにすぐひらめいたのと尋ねると、S君曰く

「だってテトリスじゃん。(注2)」

「・・・・・。」

話は変わって、最近の高校生のT君との話の中で。大学では社会の方(日本史)をやりたいという彼、社会(特に日本史)については抜群の自信を持っている彼、彼に何故、いつ、どんな風にそんなに社会科が好きで詳しくなったのと訊くと、T君曰く

「えェと、小学校4年生で『まんが日本の歴史』でしょ、それからスーファミで『信長の野望』と『三国志』(注3)、これで完全にはまりました。」

「ふ~ん。」

よく塾生のご父母から、ウチの子はマンガを読んでとかゲームばかりをやってとかお嘆きの声を聞きます。先生どうしたらよいでしょうと言われます。でもこっちこそどうしたらよいのでしょうか。中学入試問題が瞬時に解けたり、一生好きなものと出会うきっかけになったり、こんな素晴らしいエンターテイメントがありますでしょうか。「こんなことがあるのになぜお母さんは漫画とかゲームとかだめだっていうの?」「目に悪いから?」「目にいいメガネが発売されるって。」(技術の進歩ってそういうものです。)

「ねえ、なぜ?」

                 *

S君は毎日、毎日のゲームのシャワーの中で、もう図形の形が映像的に脳に焼きついていたのかもしれません。それは、むしろ条件反射的なもので、思考によって答えに至ったのではないでしょう。もちろん結果至上主義であれば、「すぐ正解したのは素晴らしい→ゲームが有効である→ゲームはぜひやるべきである。」となります。すなわち結果のみが大事であると考えるお母さんであれば、「○○ちゃん、ちゃんとテトリスをやってからじゃあなければ寝てはいけませんよ。」となります(笑)

そしてT君、きっかけとしてはなんでもいいでしょう。でも歴史を勉強するってどういうことでしょうか?戦国ゲームのバーチャル・リアリティの中で戦術や知識を身につけたとしてもそれは歴史の一部であって、本質とは違うものではないでしょうか。歴史を検証し、人間や時代をみつめ、歴史の価値から人類の恒久の幸福を導く、それが歴史を勉強する意義だと思うのです。もし彼が本当に史学科に進んだら、機会を見つけて「歴史を勉強する意味は?」と問いかけてみたいと思います。やっぱりゲームは遊び、勉強は勉強とわり切った方がいいと思いますが、いかがでしょうか。

(MJ通信  雑感  1999.3)

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