変化を愛した天才画家
ー速水御舟

 山種美術館が旧安宅産業の安宅英一によるいわゆる安宅コレクション中の速水御舟の作品108点を買い入れて開館十周年記念展を開催したのが1976(昭和51)、当時大きな話題を集めた。没後40年経つが、その500点あまりの遺作は所蔵家の手に散らばり一般に公開される機会はない、まさに『幻の画家』であった。その御舟と11歳年上の小林古径はお互い尊敬し合い切磋琢磨し高め合っていく。変化に向かっていく御舟と変化に動じず我が道を歩む古渓、二人の天才が近代明治以降の日本画壇を牽引する。

 今回この山種美術館では小林古径生誕140年を記念した特別展「小林古径と速水御舟ー画壇を揺るがした二人の天才」が開催され、期間中には創始者山崎種二の孫で山崎妙子現館長による講演会のイベントも催され、独自の視点で、二人の関係性や共通点が浮き彫りにされる。

 

 いつからだったろうか……、僕は御舟と出会い、好きになった。

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 椅子もテーブルクロスも、着物もそして帯もぜんぶ縞模様、でも何とすっきりとモダンな感じがするのだろう。上品な色調に大胆にボーダーを組み合わせたこの絵に魅かれた。お顔は陰影なく、あっさりツルルンと漫画仕立てにも見えるが、気品が漂う。髪がまた細かく書き込んでこれまた縞模様だ。こんなモダンでセンスのいい美人画(いや美人をテーマに描いている感じはしないが)は見たことがない。清方も松園ともまるで違う。和でも洋でもない。いやどちらも併せ呑むといった方がいい。浅草生まれの江戸っ子御舟の気風が絵に映る。ローマにおける日本美術展覧会のためにイタリアを含む西欧諸国を巡った7ヶ月間の旅から帰国した後の1932(昭和7)に院展に出品した「花の傍」という作品である。

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 「京の舞妓」はとうてい同じ絵師の作品とは思えない。あっさりツルルンとはまったくちがう。リアルな細密描写はむしろ舞妓の醜い部分をも浮き上がらせている。何か意図があるわけではないだろう。単に写実に徹した結果がこれなのだろう。ある意味絵画という芸術表現の限界が露呈される。市電に轢かれ右足だけになった御舟、事故の翌年の作品である。1920年(大正9年)に院展に出品したこの作品は美術界に賛否両論、尋常ならぬ波紋を投げかけた。

 

 御舟の書き残した言葉はさまざまな示唆に富む。その一つにこうある。

 「(前略)ほんとうの美を知るには、ほんとうの醜を知らねばならないと思う。然し美だとか、醜だとか言ってはいるが、それらはすべて比較的の問題だ。(中略)実在するものは美でもなく醜でもない。ただ真実のみだ。もし我々が確実にその真をつかんだとすれば、そこには美だとか醜だとか言う比較的なものを超えた、より以上の存在を感じなければならないはずだ。あるいはそれをこそ真の意味の美と言うべきであるかも知れない。」(1931)

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 そして「炎舞」。御舟の作品の中で最初の重要文化財となった代表作だ。1925(大正14)に描かれた幻想的で観念的なこの絵は、従来の日本画の手法に加え、西洋画の写実主義に基づく細密描写など、これまでの御舟美術のすべてを無駄なく余さず隙なく詰め合わせた。

 御舟美術の幅の広さそしてそれぞれの作品の完成度に圧倒され魅了される。

 近代明治期の日本画を新しい時代に合うように変革へ向かった指導者が岡倉天心である。そして天心直系の三羽烏である横山大観、下村観山、そして菱田春草がその意志を継承し実践していく。 それは一方で江戸徳川時代より以前の伝統に遡る美術様式の復古であり、他方では新しい西洋画の思想と手法の摂取である。そしてこれらの異なった価値の融合によって、新しい日本画が生まれていく。混沌の時代、新しい価値を模索する進取の気勢に溢れていた時代がたしかにあったのだ。

 歴史画の修行に始まり南画(山水画)の画風を取り入れ、岸田劉生との交流で西洋画の粋を吸収し、さらに中国宋代の緻密な花鳥画を試みる。昭和に入ると桃山時代の琳派を呑み込んでいったのが御舟である。それは表層の模倣ではなく、絶え間ざる努力によって優れた新しい個性を創造する才能溢れる画家の軌跡であった。40歳で病死するまで立ち止まることなく明治、大正、昭和を疾走し続けた画家は、夭折の天才としてその早い死が惜しまれ、作品への賛辞は絶えない。

 御舟は言う

「ハシゴの頂点に登る勇気は貴い、さらにそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つものは更に貴い。たいていは一度登ればそれで安心してしまう。そこで腰を据えてしまう物が多い。登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である」(1935)

 「絵画修行の道程において私が一番恐れることは型ができるということである。なぜなれば型ができたということは一種の行詰まりを意味するからである。芸術は常により深く進展していかねばならない。だからその中道にてできた型はどんどん破壊していかねばならない。(中略)私は常に型を破壊するのに苦心している。いつになったら自分で満足し得られる画境に落いつくのだろうか。それは知らない。一生型を壊しつつ終わるかもしれない。」(1934年)

 柔和で温厚、茶目っ気たっぷりなイメージの御舟であるが、彼の妻は彼をこう形容した。

 《針を真綿で包んだ人であった》と。

 愛すべき人だ。

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