東京都庭園美術館探訪
ー「邸宅の記憶」展

 東京都が運営管理するこの美術館では様々な企画展やアートシーンを演出するイベントが催される。美術館と国立科学博物館附属自然教育園が隣接したこの場所一帯は、中世には豪族であった〈白金長者〉の館があり、江戸時代は讃岐国高松藩の下屋敷、大正時代には皇室の御料地へ移り変わってきた。自然教育園は自然のまま手つかずの姿で残った稀有の場所として1949(昭和24)「旧白金御料地」として、国の天然記念物及び史跡に指定され昔の武蔵野の豊かな大自然の景観が保存されている。

 

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 東京都庭園美術館は、皇族の朝香宮鳩彦王(あさかのみややすひこ王)1933(昭和8)に建てた邸宅そのものが美術館本館である。シンプルで瀟洒な外観とアールデコの粋を極めた内装のこの館は、戦後の一時期、外務大臣・首相公邸、白金迎賓館として使用されるが、建造後50年経つ1983(昭和58)から美術館として公開される。今年で90年の時を経た都の有形文化財、国の重要文化財となる建築物である。昨年の夏から建築界のノーベル賞と称されるプリツカー賞を日本人女性として初めて受賞した建築家の妹島和世が新館長に就任した。今後、保存は勿論のこと、ここを舞台とした新しいアートイベントの展開が楽しみになる。

 朝香宮は明治天皇の娘允子(のぶこ)親王と結婚し高輪に住んだ。陸軍大学校を卒業した後の1922(大正11)に軍事研究の目的でフランスに留学した間の1925年にパリ万博(アールデコ博ともいわれる)が開催される。ここで朝香宮殿下と允子様ご夫婦が出会ったのがアールヌーボーに次ぐ当時の芸術の新潮流であるアールデコである。シンプルで合理的、直線で構成された幾何学模様による記号的な表現を特徴とするこの新様式にご夫婦は強く理解と関心を示されたと聞く。日本では関東大震災からの復興がようやく始まった頃である。年末に帰国したお二人は、震災で損傷し修復した高輪の住居に戻る。

 1933(昭和8)下賜されていた白金御料地に新しい殿舎が4月末に完成する。基本設計は宮内省内匠寮の権藤要吉が担当し、大客室など一部の内装の設計はフランス人インテリアデザイナーのアンリ・ラパンが、正面玄関にある女神像のガラスやシャンデリアなどは宝飾デザイナーのルネラリックが手がけるなど、日仏共同の上質な作品である。フランス人が一度も来日せずここまでの完成度で仕上げるには設計・監理を担当した権藤要吉をはじめとする宮内省匠寮のアールデコ美術への理解と技術力の高さによるのは間違いない。苦難とたいへんな努力があったには違いないが、一方で建築家冥利に尽きる作品だったろう。

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 完成を待ったかのように同年11月には允子妃殿下が42歳の若さでご逝去される。

 一年に一回建物が公開される。今年は4月1日から6月4日の間「邸宅の記憶」展として企画された。外観はどこかの講堂のようなシンプルな洋館である。中に入ると壁も階段も部屋も床も、カーテンもタイルも調度品どれをみても素晴らしく溜息ものだ。どこぞの宮殿のように絢爛豪華さは微塵もない。シックに抑えた色調や控えめだが手の込んださまざまな意匠が素敵だ。

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 美術館の帰り道、遠くから我が家が見えてくる。いつになくだいぶん小さく見える。あの家とこの家、同じ「家」という概念で括られるのがおかしいと思った。()

いや結局「家」って抽象概念なのだ。いやそう思おう。「家」が素敵って、そこに住む人が、関係が素敵なのだ……。それでいいのだ。

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