どうやら僕は石が好きなようだ。

 どうやら僕は石が好きなようだ

 妙に石に惹かれてしまう時がある()

 十年ほど前になる。とても安いお代で貸して頂いていた駐車場の持ち主の叔母様が、そこの自宅と土地を売って、やや離れたところの新築マンションに引っ越すことにするという。屋根付き駐車場に続く200坪近い庭の広い大邸宅がご自宅である。数年前に他界されたご主人が、貿易関係の事業で成功したとか話していたことがある。一人で住むには大きすぎて賊の侵入も心配、家の前に車があるのは防犯になるということで僕が車を置くのが歓迎されたわけだ。月末たびに賃料を持っていくと、よく玄関先で世間話を交わした。息子さんのこと、ご近所のこと、そうそう健康のことも。

 門を開けて玄関までのアプローチの飛び石をトントンと歩いていく途中、いつも視界の右にその石がある。鋭い三角形をした青く鈍く輝く石、巨石ではなく、なりは小さいが庭の中で存在感を放つ。いやそう感じたのだからしかたない。《惹かれた》のだから

「家は来週から壊すことになりました。思ったより早く買い手がついたようで。この家の基礎を壊すのはたいへんよ。地震に備えて、それはもう深く掘って建てたんだから。業者はビックリだろうね。解体費用が合わないってね。」

「お庭はどうするんですか」

「家も庭も重機が入って更地にして、この土地に三棟建てて売るみたいよ」

………もったいないですね」

 せっかくきれいに手入れされていた和風の庭がほんの一瞬でなくなる、それは物理的な意味だけではなく、同時に記憶も風化していくことを意味する。家がなくなって庭だけ残るわけないが、庭がなくなる方が寂しい感じがする。僕の方が感傷的で叔母様の方が合理的かも知れない。

「あの石も廃棄になるんですか。もしそうであれば譲って頂けますか」

「どうぞどうぞ持って行って。じゃあ業者に廃棄しないで置いておくように言っておくわね」

 ある日の夜の仕事帰り、以前門柱が立っていた辺りにその石が置かれていた。そこから夜中の格闘が始まった。重い。重すぎるのだ。石の下三分の一が泥に埋まって色が変わってじっとりする。見たことがなかった分が晒される。独特な形のため持つところが定まらず、そしてずっしり重すぎる。

 たしかに重いものを持つのが僕の一つの趣味だった。()  どこかのイベント会場で、お化けカボチャを持ち上げて拍手と記念品をもらったのはまぎれもなくこの僕だが、しかしこの時ばかりは、悲壮な吐息やらハぁハぁ息を切らしたりと夜の空気を揺らしながら、ほんの数メートル先の車の荷台まで運ぶのに2時間は優に超え、石とともに帰宅したのはもう夜中だった。疲れ切った。泥のように、いや石のように眠った。

 翌朝、石にロープをぐるぐると巻いて、息子と2人で抱えて、我が家の猫の髭()ほどの庭にドスンと鎮座させた。大学でラグビー部に入った華奢な息子にとっては格好のトレーニングだったに違いない。いやいい迷惑だったろう()数日後、解体工事の現場で、重機で掘り起こして運んでくれたらしい中東系の兄ちゃんに礼を言った。まさか彼は、この日本人が一人で運んだとは想像だにしないであろう。()

 石って何だろう。石は地球だ。地球が顔を出す。日本人はその石を愛でる。その形、色、模様、質感。焼き物に似ているかもしれない。風や温度や水気、土、釉薬によって窯から出てきたものはすべてちがう。自然の、偶然の産物だ。西洋の芸術では《直線》が尊重される。それは自然界には存在し得ず人間の理性が生んだものだから。でも日本の美意識はそうではない。割れやヒビ、いびつさや凸凹も美しいと感じる。ドロドロのマグマが地球内部のマントルから数キロ続く登り窯を上昇し、いろいろな鉱物を溶かして冷えて岩となる。それが地殻変動で顔を出し、削られて窯を飛び出してくる。決定的に違うのは時間軸だ。石は数百万年、いや数十億年ずっとこの世に居る。だって地球そのものだから。

 この石、幅60㎝、高さは一番高いところで6070㎝、厚みは下部が20㎝で上に行くほどだんだん薄く、てっぺんは刃のようだ。重さはわからないが、密度を3g/㎤とすると126kgになる、ん?ってことはあの日道にひれ伏した泥酔状態で眠ったの酔っ払いの相撲取りを抱えてタクシーにでも乗せた感じだったか(笑

 日本全国のさまざまなブランド石を設えた名勝「清澄公園」が江東区にある。ここには青い石が2種類ある。一つは伊予の青石、どっしりした黒っぽい緑青色に時おり白い筋がある、もう一つが紀州の青石、コバルトブルーの色合いで、薄いパイ生地が重なったような表面のものがある。僕のあの石はこちらに近い感じがする。いや、そうしておこう。青石は秩父から愛媛まで細く長くつながる三波川地質帯に含まれる緑泥片岩で、ジュラ紀中期ごろ造られたようだ。

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今我が家の庭には、一億年前の紀州の青石が槍ヶ岳のジオラマのように聳え立っている。雨に濡れるとさらに青々しく輝く。

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