世界遺産『旧冨岡製糸場』とおっきりこみ

 目標8000万円のクラウドファンディング(ふるさと納税制度を利用した資金調達)がようやく目標額に達した。世界遺産である「富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県)」の目玉である「冨岡製糸場」の煙突(現存は四代目)の修復に向けて群馬県富岡市が資金を集めたのだ。

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 この冨岡製糸場は明治5年に創業し、官営モデル製糸場として明治維新の殖産興業の始まりを世に見せつける。フランスの近代的な製糸技術と大規模な工場を招き、日本がこれから確実に変わっていく決意と方向性を提示し、近代化の範としたのである。背広や作業着姿のフランス人のもとで、ふんどし姿の大工や職方たちそして着物姿の女工たちが大勢、せわしく動き回って働いていたにちがいない。そしてこの近代化は建造物や製糸技術だけではなく、休日や休憩といった時間を管理した労働体制、熟練工に対する厚遇や女性の積極的な活用などの労働環境の整備や産業医の制度といったソフト面での西洋の合理的な革新も含んでいる。

 絹は、およそ5千年前の中国を発祥とし世界中に広まっていく。日本での蚕糸は2000年前の弥生時代に遡り、江戸時代には独自の〈座繰り器〉という手回しの製糸器具を使って手作業で繭玉から糸を紡いでいた。一方、欧州諸国では産業革命後に効率よく品質の安定を見込める〈器械製糸〉が発展していく。家内制手の技術が世界に輸出する大量生産の一大産業として成長する転換点であったのだ。折りしも、蚕の伝染病によってヨーロッパの製糸が大打撃を受けたことで日本からの輸出が躍進したらしい。

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 今年で150年。空襲や火事、地震などから免れ、創建当時のまま現存する稀有な建造物群であるが、その分否応なく経年劣化による損傷が進んでいる。場内の西繭置所、東繭置所、操糸場の3つの建物がそれぞれ国宝にそれぞれ指定され、重要文化財もいくつかある。しかしどの建物もペンキは剥がれ、木はひび割れ、レンガも欠け落ちている。今後、経年劣化はいっそう進み保存するには莫大な修繕費用がかかることは明らかであり、冨岡市は継続して寄付を募っていく。

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 正門の前の真っ直ぐ続く門前町の城町通り沿いにいくつか商店が連なる。メインストリートであろう。きっと世界遺産への登録が決まった時はお祭り騒ぎだったにちがいないが、今はそれほど人通りも多くはない。もちろん工場が建った当初はさまざまな国や職業の人々が集い、万国博のようにさぞ賑やかであっただろう。

 朝方、まだ製糸場が開く前にぶらり歩いていた時にお会いした商店街の床屋のご主人から、門に程近い「信州屋」で製糸場の入場券を買うとおまけで焼売がもらえると聞いたので、店の暖簾をくぐった。《上州屋》ならわかるが「信州屋」と名乗るとは、度胸があるよそ者だ(

 店主が「信州屋」の看板が目を引く明治初期の錦絵を見せてくれた。初代の出身が信州だったようで当時は旅籠をやっていたということだ。きっと信州の行商人たちも気兼ねなく安心して泊まれる常宿だったのであろう。

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 帰りに門の目の前の「はや味」で、群馬名物〈おっ切り込み〉を頂いた。おっ切り込みは甲州の〈ほうとう〉と兄弟分だが、味噌仕立てのヤンチャで荒削りの弟分に対して、ほのかに甘い出汁醤油に色鮮やかな野菜が散りばめられた几帳面な兄貴分(どちらが早く生まれたかは不明だが 笑)、キリッとした感じがまたよし。81758B8F-A720-402B-AFFF-D0606A6F531D

 軒下の巣の中では、お腹を空かせたツバメの雛たちが首をいっぱい伸ばし、口をひし形に開け放し、今か今かとお昼ご飯を待っていた。

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