[2022年02月]の記事一覧
見方によって印象が変わる絵だ。もともと絵を含めて芸術的な表現はそういうものであろうが。 累々と積み重なる屍におぞましいと思わず目を背けるかも知れない。反戦、厭戦の感情がふつふつ湧き出すかも知れない。また一方で、聖戦に[...] 続きを読む
見方によって印象が変わる絵だ。もともと絵を含めて芸術的な表現はそういうものであろうが。 累々と積み重なる屍におぞましいと思わず目を背けるかも知れない。反戦、厭戦の感情がふつふつ湧き出すかも知れない。また一方で、聖戦に[...]
始まる10分前くらいから15名ほどの教室の席がどんどん埋まっていく。 いつの間にか、満席の中、黒一点になった。幅広い年齢層の女性が集まっている。かくも「アシ(リ)パ」(この〈リ〉がアイヌ語の発音上、微妙のようだ)に魅[...] 続きを読む
始まる10分前くらいから15名ほどの教室の席がどんどん埋まっていく。 いつの間にか、満席の中、黒一点になった。幅広い年齢層の女性が集まっている。かくも「アシ(リ)パ」(この〈リ〉がアイヌ語の発音上、微妙のようだ)に魅[...]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]