[2021年06月]の記事一覧
ウチの自転車の修理は、いつの頃からか、家から少し離れた店でお世話になるようになった。もっと近くにも2、3軒〇〇輪業や△△サイクルはあるが、その店に落ち着いている。 昭和の時代によく見る風景の、町の自転車屋さんといった[...] 続きを読む
ウチの自転車の修理は、いつの頃からか、家から少し離れた店でお世話になるようになった。もっと近くにも2、3軒〇〇輪業や△△サイクルはあるが、その店に落ち着いている。 昭和の時代によく見る風景の、町の自転車屋さんといった[...]
1年前に園芸店のセールで買った鉢のギンバイカ(銀梅花)がどんどん葉を落として元気がなくなっていった。今年の春、根のようすを見ようと土を取り出すと、中に3、4センチの幼虫が10匹くらい、居心地よさそうに不法占拠していたで[...] 続きを読む
1年前に園芸店のセールで買った鉢のギンバイカ(銀梅花)がどんどん葉を落として元気がなくなっていった。今年の春、根のようすを見ようと土を取り出すと、中に3、4センチの幼虫が10匹くらい、居心地よさそうに不法占拠していたで[...]
70年代後半はけっこう面白い(?)時代だった。子供たちは、学校の先生を「センコー」と呼び捨て、明らかに敵意に満ちた眼光を注ぐ。僕たちには「せんせぃ」と、用もないのについて回り、やんちゃ坊主のかわいい笑顔をみせる。校内暴力吹き荒れ、暴走族が跋扈(ばっこ)する。 そう‥‥、いろいろ教育論は読んだ。林竹二、斎藤喜博‥‥、でも時代のズレを、理想と現実の断層を感じた。 イヴァン・イリイチの「脱学校化」に共感したのもこの頃だ。そこに「現代」「教育」を斬る一つの視点があった。 「学校って何」「学校がなかったら」そんな問いの答えを、今も追っている。 宙を舞うトンボを素手でつかまえようとする 子どものように [プロフィール詳細]