卒業のはなむけ
ー「お祝い会」でのはなし
MJ通信  雑感  2000.3 

小6受験クラスの卒業お祝い会(3月11日)で私が話したこと

 

 みんな卒業おめでとう。そして進学おめでとう。合格おめでとうとは言わないよ。それは、もうそれぞれに言ったからね。卒業式でも校長先生や来賓の方々の長い話を聞くことでしょうから、なるべく短く、はなむけの言葉を送りたいと思います。少し、個人的な話もありますが、聞いてください。

 実は、私の母が、2月23日の未明に亡くなりました。22日の夜11時ごろ塾にいると、実家の父から動転した声で、 「元気だった母の様子が急におかしくなり、今救急車を呼んだ」という連絡が入りました。すぐに飛び出して、車に乗り、携帯電話で救急車の行き先の病院を確認し、病院には救急車とほぼ同時に着きました。私は、そこにいらした数人の看護婦さんや事務の方に、処置室にいる母に会わせてほしいと頼みました。それは、母が私の声を聞いたならば、お医者さんのどんな処置よりも、元気になるに違いないと思ったからです。でも、そんな状態ではないと一点張りでなかなか会わせてくれません。後でわかったことですが、母は救急隊が実家に到着したときには、すでに、脈、呼吸とも停止の状態だったそうです。しばらくして、担当の救急医が出てきて、私を中に入れてくれました。私は、眠っているような母の耳元で、大声で私が来たこと、そして母がかわいがっていた孫の名前を呼び続けました。…………23日0時43分母は亡くなりました。

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 母は、昭和三年に、東京下町の裕福な家の七人兄弟の長女として生まれました。しかし、戦争で焼け出され、父親が亡くなってから、その生活は一変します。幼い兄弟のために家の稼ぎ手として、朝から晩まで働きます。そして、母は二十一歳のとき、結婚して大島に暮らします。生前、思い出を語る時の様子からすると、幸せな結婚生活だったのだろうなと思えます。しかし、わずか三年、夫は結核で亡くなります。二十四歳で未亡人となったわけです。子供(私の兄)が二歳の時です。亡夫の父母は、まだ母は若いから、子供は自分たちが引き取るから、もう一度実家に帰って、新しい人生を送るようにと強く告げました。それから、しばらくして母は今の私の父と結婚したのです。でも、それからも姑の介護などでさまざまに苦労をしてきました。

 今、私は憂いています。ようやく、いい年寄りになってきて、とてもいい笑顔が見られたのに、残念です。

 憂いているというのはどういうことなのでしょうか? 人の人生や生き方を受け入れて、幸せを願うのに、それがかなわないということでしょうか。この憂という字に人(にんべん)をつけると優という字になりますよね。もしかすると、私は今一番優しい気持ちでいるのかも知れません。人を慮る(おもんぱかる)、それは例えば、君たちが受験で合格したということは、多くの不合格者がいるということでしょう。確かに、「いや私はちゃんと勉強したから受かったんだ」というかも知れません。でも、もっと勉強したけれど、うまく力が発揮できなかった人だってたくさんいるはずです。誰かの犠牲の上に今の幸運や幸福があるのです。そして、今日この会のために買ったケーキ、私が15個買ったため、後から来た人はせっかく楽しみにしていたのに買えなくなってしまいます。(でも、ゴメンナサイト思いつつ買ってきましたが)それが、人を慮ることですよ。私は、今日、競争に勝った君たちだから、あえてこんなことを言いました。みんな優しい人でいて欲しいと思います。

 そして、もう一つ、「受験に合格する」ために勉強してきたのだ、と思う人は、とくによく聞いて下さい。中学校に入ったら、しっかりと勉強して下さいね。でも、成績を上げることが目的で勉強するのではありません。じゃあ、何のために? それは、自分の可能性を自分で切り拓くためです。自分のために勉強するのです。英語、新しい科目ですね。今もその兆しはたくさんありますが、君たちが生きる21世紀、国境がない時代になるはずです。今、スポーツの世界でもイタリアのチームの中田や名波選手がいる、日本のプロ野球も外人選手ばかり、もしかすると君たちの五人に一人くらいは外国で仕事をし、また外国人と結婚しているのかも知れませんよ。さて、この外国人と共に生きるのに一番必要なのは何でしょうか? 英語かな? 私はそうは思いません。英語は道具です。大事なのはさっき言った優しさだと思います。文化や習慣が異なる人を理解し、慮ること、すなわち優しさが共生を生むと思うのです。優しさ、勉強、順序はそうですよ。

 「また、勉強しろって? もういいよ!」って感じかな。では、話をかえましょう。もちろん勉強のためにだけ学校があるのではありません。(そう心配する必要はない子ばかりだと思いますが)中学校時代は人生でただこの3年間しかありません。高校時代も同様です。私が、今、一緒にいて一番楽しいのは、学生時代に得た仲間たちとの集まりです。大人になってからの人間関係は学生時代のそれとはどこか異質のものです。だから、どうか、みんなもかけがえのない仲間との出会いを大切にして下さい。それから、例えば、今私が、ピアスしていたら、変なおっさんになってしまいますが、若い頃はそれがOKなんですよ。別にピアスを奨励するわけでは決してありませんが、その時代しかできないことがたくさんあるよ、ということがいいたいのですよ。是非、しっかりと勉強し、そして楽しくかけがえのない中学校生活を送って下さい。

 

 みんな、本当に卒業そして進学おめでとう。

 

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