「福田村事件」

 縛られていた針金をはずされながら、少年は「何で」「なんで」「なんで?」と幾度となく口から漏れ出る。涙も出ない。

「なんで?」主語も述語もない。

 少年は見た。これほど不条理に満ちた醜い大人たちを、そして世の中を。

  生まれたら何で穢多になる? 

  鮮人(当時の朝鮮人に対する蔑称)ならただそれだけで殺していいのか?……

 昔、小学生くらいの時分、明治生まれの祖母に関東大震災のことを尋ねたことがある。祖母は「立っていた地べたに亀裂が入り、両足が広げられ、股が裂けそうだった」と語った。私は当時、その光景を漫画の一シーンのように真面目に思い浮かべ、おそろしくも滑稽に感じたものだが、今では祖母のほんの冗談ではないかと思っている。笑

 大正12(1923)91日の関東大震災から100年目の今年、様々な特集を目にする機会も多い。現在の私たちは、30年以内に太平洋側の海域で、東海地震、東南海地震、南海地震という3つの巨大地震が高確率で発生するというリスクの中にある。だからこの震災の記憶は改めて来るべき災害に備える重要な啓発となり得るが、天災に加えて震災直後、デマを信じた民間人が数千人という朝鮮人を虐殺したという人災の事実もある。その中でさらに今までメデイアがほとんど取り上げることがない事実が明るみに出る。

 関東大震災にまつわるその歴史の闇を掘り出したのが原作の「福田村事件ー関東大震災・知られざる悲劇」(辻野弥生2013)であり、この映画も、目を覆うほどの人間の悪業を白日のもとに引きずり出した。

 震災発生(91日)直後から、帝都東京で飛び交った「朝鮮人が集団で襲ってくる」、あるいは「井戸に毒を投げ入れた」などの流言蜚語はすぐに福田村(現在の千葉県野田市)にも伝播する。

 当時、薬の行商で滞在していた香川県の被差別部落出身の日本人15人の一行は朝鮮人に疑われ、このうち、幼児や妊婦を含む9人が、地元の自警団を中心とした100人以上の村人によって惨殺され、利根川に流された。これが〈福田村事件〉である。

 映画「福田村事件」では部落差別と朝鮮人に対する差別が多重的に描かれる。劇中の彼らは概してやさしく気のいい人たちとして描かれている。これらの差別問題、どちらも一般には、容易に取り上げられているテーマではない。ある種のタブーである。映画製作にあたり森達也監督は右翼団体からの中傷や恫喝を覚悟したという。小池都知事も、震災後の朝鮮人虐殺の有無については明確な認識を示さず、歴代の都知事が送っていた犠牲者追悼式典への追悼文の送付を中止している。

 ごく平和な田舎の村で暮らすふつうの村人が、ある瞬間に殺人鬼となる。不安や恐怖に煽られた集団の中で、個人はいとも簡単に悪魔に豹変する。個人と集団の相剋を追求するのは森達也監督の真骨頂である。数々のドキュメンタリー作品を手がけた森監督にとってこれが初めての劇映画となる。

 彼はこの虐殺を単に歴史の事実として伝えるつもりではない。善良な個人が殺戮者になることを描くことで、人間の本性を暴き、〈人間性〉の曖昧さと限界を露呈しようとしている。もちろんそこには時代の流れの中で、結果的にせよ意図的にせよ国家がどのように先入観や偏見を醸成したかという大きな要素がある。そしてジャーナリズムももはやそれを後押しする道具と化す。表現者の彼は、ジャーナリストであり、犯罪心理学者、歴史学者そして哲学者のような多面的な顔も見せてくれる。

 映画のパンフレットに外山大東京大教授が親鸞聖人の「歎異抄」から引用した一節がある。

 「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし。」

 森監督はこう記す。

『(前略)こうしてヒトは群れる生きものになった。つまり社会性。だからこそこの地球でここまで繁栄した。でも群れには副作用がある。(中略)特に不安や恐怖を感じたとき、群れは同質であることを求めながら、異質なものを見つけて攻撃し排除しようとする。この場合の異質は、極論すれば何でもよい。髪や肌の色、国籍、民族、信仰。そして言葉。多数派は少数派を標的とする。こうして虐殺や戦争が起きる。悪意などないままに、善人が善人を殺す。人類の歴史はこの過ちの繰り返しだ。だからこそ知らなくてはならない。凝視しなくてはならない。

 だから撮る。僕は映画監督だ。それ以上でも、それ以下でもない。ドキュメンタリーにはドキュメンタリーの強さがある。そしてドラマにはドラマの強さがある。区分けする意味も必要もない。映画を撮る。面白くて、鋭くて、豊かで、何よりも深い映画だ。』

 今、イスラエルやパレスチナの少年たち、そして全世界の少年たちが嘆く。

「なんで?」「なんで?」……

 

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