「ママぁー、お花だよー」
と、子どもが小走りに近寄って、地面にしゃがみこむ。
ママの顔をみる
「〇〇ちゃーん それ雑草でしょ バッチいよ ほら こっち来なさい」
‥‥‥よくある光景だ。
《雑草》=取るに足らない=しかもバッチぃ?!
そんな固定観念は世襲制だ。親から子へ、代々、脈々と受け継がれていく
そして世の中の空気がそれをいっそう押し固める。まるでガチガチ、ピカピカの泥だんごになる。
子どもにはもともとそんな概念はない
いやそんな概念がない生物を子供とよぶ
雑草、害虫、害獣、生ゴミ‥‥先に言葉ありき
お花屋さんで売られている花を見て「ママー ほら、きれいだよねー」と親の顔色を伺う。子供なりの忖度だ。
こちらはママの顔色なんのその。「ママー きれいだよー」と道端のオオバコの花にしゃがみこんで視線を注いで動かない《子供》がいる。ママはもう歩いてむこうに行ってじれったそうにしている‥‥‥そう、雑草だから
ときに、先入観や固定観念やジョウシキやフツウから解放された子どもの視線に敬意を表す。羨ましくさえ感じる時がある。
私が見えなくなったものを見ることができるから
ことばの魔法にかかると、見えなくなるものがある。
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