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教育コラム 雑感
「数学ショック」ー共通テストよ 暴走しないで!

 昨年から30年続いた従来のセンター試験に替わって登場した(大学入学)共通テスト。試験日の翌日の朝、数学IAIIBを解くのが私にとって年中行事の一つになってもう数十年経つ。(十数年ではない 笑)

 共通一次試験、(大学入試)センター試験と名称を変え、新しい学力観に基づいて改訂される学習指導要領に呼応して変遷してきた。今回の改訂は、教育立国を標榜して来たニッポンが、時代や社会の変化の中で世界で活躍できる新しい人材の養成と発掘を目指して大きく舵を切った感がある。

 例えば、英語は文を「読む・書く」力と「聞く・話す」力(4技能)の習得を掲げ、コミニケーションツールとして使いこなせるように、理数系では、知識にとらわれず創造的な発想ができるように、そしてデジタル化を強力に推進するためにITAI技術の開発や理解に必要な知識の習得など‥人材育成の国家プログラムがここに濃縮される。

 この新しい共通テストでは、改革の目玉でもあった数学や国語の〈記述問題〉、英語の民間テストの活用などが評価の公平性の観点などにより急遽取りやめになる経緯があった。文科省が〈ご立派な〉理念を掲げ、施行上の問題や学校現場とのズレなど現実との不協和音が起こるのはいつものことである。結局、「記述」や「民間テスト利用」は導入見送りとなったが、英語のリスニングテストの配点増や、数学の試験時間を60分から70分に伸ばすなど、細部の仕様の改変があった。

 さて今年の数学のテスト。何かいつもと違うぞ。焦る‥‥。難しいのだ。例えば、独特に練られた解法を誘導通りに解き進ませるが、あとは自分でやってみろと急に手放されてオマカセされる。誘導する解法の〈意味〉や〈クセ〉を考える時間は乏しく、追体験する時間も限られる。設問の意図が伝わりにくい問題もあれば、数学の「長文問題」もある‥‥。太郎と花子の会話文の問題を解きながら、思わず「フツーの問題でいいよ!」と叫んでしまう。私がお茶の間で解いて冷や汗ものなのだから、会場で挑んだ受験戦士たちの動揺は想像して余りある。

 高校の現場でよく遭遇した試験問題の作成風景を思い出す。例えば学年担当の三人の教師で設問ごとに分担して作成する場合、持ち寄った問題を披露する時など、それぞれの教師の「数学的」見識を披露する自己陶酔の品評会のようになる時があるのだ。だからそれらを配列して出来上がったテスト問題の試案は試験時間の数倍もかかるボリュームになる。質・量ともにである。もちろん各問題は個性的で味わい深いかも知れない。(オヤ??という問題も少なくないが‥)そしてさらに困ったことに、教師間ではそれらの設問について議論したり、批判したりすることが少ないのだ。お互いのプライドを傷つけたり、一人で責任を負ったりすることは極力回避する。だから波風を立てない。教師という職業は得手して狭い世界に安住しがちだ。また、例えば、誰かがある問題が難し過ぎると言うと、『お前のレベルが低いからそう感じるのだ』とブーメランが返ってくるかも知れない。院卒と学部卒、学問としての数学と受験数学についての考え方など様々な相剋が浮き出てくる。結局は不恰好でヘンテコな寄せ集めの試験になる。このままでは、生徒にとって単なる大迷惑である。

 もちろん国家の一大プロジェクトとしての大学入試改革、もちろんそんな高校のテスト作成現場とは違うであろう。しかし数学の能力に長けた一部の人間たちが隠密に作業を進める性質上、似たようなことは起こる。どれだけスーパーバイザーによってテスト問題の適正化が客観的、合理的に行われたであろうか、そのプロセスは気になるところだ。

 結果として数学IAで平均点37.96(数学I21.89点)でセンター試験以来の過去最低、数学Bは43.06点で1997年以降ワースト3位の低さとなった。もちろん実力がある受験生は点が取れるし、そうでない受験生は点が低いには変わりない。実力が反映されるテストかどうかが問題なのだ。そうは思えないのだ。これにより、例えば国公立や私大の共通テスト利用で社会と数学のいずれかの選択が認められる場合、もちろん他教科間での得点調整は行われないため数学受験者は足切りになったり、不合格になったはずだ。この数学の難化によって、今後大学受験をあきらめざるを得ないラストチャンスに賭けた受験生もいたであろう。

 今回の結果がさまざまにフィードバックされて次年度以降に活かされることを期待する。一問一問は練られた問題で工夫もみられる。では時間を伸ばせばいいのかというとそうも思えない。もっと根本的に、はたして〈基礎学力を判定し、数学を問題解決に活用できることを理解させ、さらに思考力判断力表現力を正当に評価し、答案処理のスピードを速くして、マーク式による選択式で〉と、そんな盛り沢山な要求を70分の紙に具現化することなどできるのであろうか?

 東京大学の二次試験は真白な答案用紙が配られる。レイアウトも含めて受験生はすべて記述する。もし答えが間違っていても、途中経過が理にかなっていれば正解に近い点数が加点され、反対に答えが正しくても、そこに到るプロセスの説得に欠ける場合は容赦なく減点されると聞いたことがある。これでいいではないか。基礎学力を評価し、あとは各大学が独自に選抜試験を実施すればいいではないのかと思う。へんにいじくりまわすと醜悪になる。

2022.03.06更新|MJ通信