教育コラム 雑感
ーRIKA NO kIKI

 予習シリーズ4年上第1回 「いろいろな昆虫」
 「さあ ページを開いて」の合図で、一斉にページを開く。すると教室中、阿鼻叫喚の様相となる。見開きの左ページ にはトノサマバッタ、右ページにはアオムシ(モンシロチョウの幼虫)の写真が載っている。みんなは、少し落ち着くと、その写真を手のひらで隠して、身体を後ろに反らして、遠目でそして薄目でそーっと覗き込む。どうやら今年の4年生も、虫が苦手のようだ。

 近年、確実に、虫嫌いの子供は増え、虫を嫌悪する風潮が目立ってきた。もちろん親の嫌厭が感覚を再生産するので、『嫌い』のスパイラルから暫くは抜け出せないであろう。子供の頃は虫網を持って虫を追いかけていても、今は虫から逃げる大人も少なくない。特に夏場のセミが気持ち悪いと言う大人や子どもが多いと感じる。ベランダで静かに伏してると思いきや、何かの拍子に、にわかに大きな声を出して必死に暴れるアイツがあまりにウザいのだろう。それだけ存在感がある昆虫だ。

 夏の終わり。公園の舗道を歩くと、アイツらは両側の朴の街路樹からやんやか騒ぎたてている。不協和音の大輪唱だ。未だ結ばれないパートナーを必死で探し求める、なりふり構わない必死な姿を目の当たりにして、同性として、その自然の摂理にあまりに忠実なアイツを時に情けなく、時に愛おしく思える。

 そう……。アイツの羽化の瞬間の何と神秘的で美しいこと。 周りの様子を伺うように、根の張った土の穴からアタマを出し、トコトコ頼りなげに歩いて、やがて木に登る。動きはぎこちないが、無駄がない。幼きアイツは、木に登り、ようやく誰にも邪魔されない絶妙の高さまで辿り着く。やがてオーロラ色に包まれた神秘の神事が始まる。この章で習う《不完全変態》という語句が空虚に感じる。知識や理屈を超えた美しい瞬間だ。

「虫なんて嫌いでもいいじゃない、誰だって好き嫌いがあって当然でしょ。」ふむ
「虫なんていなくなった方がいいでしょ。ゴキブリもハエも、蚊も、誰も歓迎してないでしょ」ふむふむ

 私には少しばかり危惧がある。
 一つは異形のものを排除しようとする無意識の意識が見え隠れする。
昆虫は人間様(?)とその形が違う、外見やムードだけで拒絶するのは、自分以外の他人を受け入れないことに繋がらないか、コミニケーションを安易に断絶することに通じないか、差別意識を醸成することにならないか、ということである。

 一つは、「多様性」の扉を閉めてしまうということだ。
 昆虫は、まさに生物多様性を体現している。それは生まれた環境に適応するための結果だ。例えば 甲虫のゾウムシは世界で6万種、日本だけでも1000種以上ある。住む環境によって姿・形を変幻自在に変えるのだ。著書「バカの壁」で有名な医学博士の養老猛司がこのゾウムシのコレクターで研究者であることはよく知られている。多様だからこそ面白い、そして多様性は、種が生き残る知恵の結晶なのだ。そしてこれだけ多様になるには4億年という膨大な時間軸があるということも忘れてはいけない。

 結局、どちらにせよ『自分と違うからこそオモシロイ』という感覚が萎えてしまうという危惧だ。そして『自然への畏敬の念と感心』が萎えてしまうという危惧でもある。

 そういえば、今まで塾で、二人の昆虫好き、いや昆虫オタクの生徒と出会った。一人は蝶マニアのS君と、もう一人は甲虫マニアのI君だ。二人とも好きなムシの研究がしたいと第一志望、いやそれ以外に人生の選択肢はないとして、見事、東京農大への進学を遂げた。I君はAO入試で決めたと記憶している。まだ耳に慣れない「AO入試」草創期の頃だ。どうやら彼は、その甲虫の中でもとてもマニアックな〇〇虫(もう忘れてしまった)に惹かれ、学校の勉強や受験勉強そっちのけで、図鑑やインターネットを使って、夢中で〇〇虫を調べ、学術論文なども読んでいたようだった。ペーパーテストに自信なぞまったくなく、いちかばちかの背水の陣でこのAOにチャレンジしたのだった。奇跡は起きた。たまたま入試の面接に、その〇〇虫の権威である教授が面接官の一人であったらしい。

                       *     *     *     *     *     *     *

  面接時間をだいぶ超過するほどお二人は意気投合したようである。オタクどおし 〇〇虫について熱く語り合った。

                        *    *     *     *     *     *     *

  彼は、合格した。これがAO入試の真髄であろう。

  虫が彼の道を切り拓いた。そして彼を幸せにした。

2020.03.05更新|MJ通信